最近反エコロジー活動が盛んである。それは偽保守派の方達が推進しているようだ。
その実態を観察すると、韓国の福音派の影響が強くみうけられる。ベトナムの枯れ葉剤を糾弾させなくなったのは、韓国キリスト教会の影響であるのは有名だが、日本においてもそれは類似してきている。まず統一教会の出入りしている中部大学の教授であること、次ぎにキリシタンの思想を持つ人物であること。そして何より、日本原子力委員会の関係団体に出入りしていることである。日本原子力委員の中には過去に、強烈なブンセンメイ信者の西堀博士がいたことで有名であるし、本人のサイトにもキリシタンの思想がみてとれるのである。だとすれば、反エコロジー活動の理由が、旧約聖書のハルマゲドン到来を礼賛する活動なのかもしれない。以下資料として掲載する。
原子力を考える (2)- 人の心と原子爆弾 -
太陽の光も原子力発電所も、石油石炭ですら、つきつめれば原子力だから、結局我々は原子力をどのように使うかということだけが問題だということ前回に指摘した。
ところがやっかいなことに、原子力発電所と原子爆弾というのはほとんど同じようなものだということである。原子爆弾は、一瞬のうちに原子力のエネルギーを爆発させてしまうことだし、原子力発電所というのは、原子力のエネルギーを少しずつ出している施設ということである。
つまり原子力発電所も、超小型原子爆弾を毎日のように少しずつ爆発させていると考えても間違いではない。爆発というと印象が悪いが、「燃焼」と言っても「爆発」と言っても基本的に変わるわけではない。事実、石油のようなものが燃える条件のことを「爆発限界」と言っている。
石油を燃やす時の燃焼範囲のことを「爆発」限界と表現できるのは、石油の燃焼には「反対運動」をする人がいないからだ。燃焼でも爆発でも科学的にはほとんど変わりが無いからである。ところが、原子力には強い反対運動が付いて回るので、原子力発電所が「爆発」などというと反対運動が盛り上がってしまうと信じられているために使っていない。
でも原子力の平和利用のためには、原子力発電所は爆発だと言った方が良いかも知れない。原理は同じだから、原子力発電所の危険性というのは結局のところ原子爆弾の危険性と同じであるし、原子力発電所を作るという事はいつでも原子爆弾ができるということでもあるからだ。
第二次世界大戦の時に、アメリカが原子爆弾を作り出した。もともとナチスドイツをやっつけるために原子爆弾を作ったのだが、その時にはもうナチスドイツが戦争に負けたため使う必要が無くなったので、その原子爆弾を日本に使うことになった。 (ガモフ全集より)
それでもアメリカ軍の中には反対もあった。原子爆弾を使うということは大勢の人間を一度に殺すということである。それも日本の都市に落とせば、女性や子供などの非戦闘員も殺すことになる。人種差別をするアメリカ人の中にも、これはあまりにひどいという話があった。
そこで妥協案として「原子爆弾を落とすぞ」と世界に宣言して、日本に近い海の上で爆破させたらどうかという案が提案された。もしこれが実施されていたら、広島・長崎で犠牲になった多くの人たちが助かったはずであった。
しかし、この案は反対に遭って潰れた。その時の反対の理由が、もし原子爆弾を落として不発だったらどうするかということであった。原子爆弾はどんな条件でも爆発するというわけではない。ある一定の条件ができないと爆発しないので不発の場合があり得る。爆発させると宣言して不発だったら、日本軍はますます勢いを増すだろう。そうなると到底戦争を終わらせられないという反対論でこの案は潰れた。
つまり原子爆弾を作ろうと思ってもそんなに容易にはできないのである。逆に原子力発電所を作る時には、できるだけ爆発しないように設計するので、原理は原子爆弾と原子力発電所が同じであっても、原子力発電所が突然爆破するということは起こらない。
特に日本の原子力発電所は「水」を使って炉を冷やしているが、水は「核反応が進めば進むほど反応を止める方向に行く(負のボイド効果)」という特徴を持っているので、爆発させようとしても爆発しない。
でも旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所は違った。この発電所は別の目的があったので「爆発しやすいように設計」されていた。黒鉛減速というこの発電所の方法は「反応が進むほど進む(正のボイド効果)」がもっとも高い設計だった。だから暴走が始まると止まらない。
そんな発電所を作った理由はいくらでも原子爆弾が欲しかったからだ。チェルノブイリ発電所というのはそういう名前がついているだけで、真の目的は爆弾製造だった。日本では一般的な水で減速する原子炉(軽水炉)は239Pu(原爆の原料)の他に、爆弾にならない240Puができるが、これが1%でも入ると爆弾にならない。
その点、黒鉛を減速材に使うと高純度の239Puが得やすい。危険を冒しても原爆が欲しい、これがソ連政府の考えだった。信じられないことだが、それが現実だった。恐ろしい共産主義の例である。
そのためにチェルノブイリ原子力発電所は爆発し、それが誤解されて「原子力発電所というものは爆発する」と理解されている。
科学というのはいつも危ないもので、目的が邪悪なら酷いことになる。人間を助けることを目的にしている医学を利用して人を殺すのはいとも簡単である。医学で人を殺すか助けるかは「方法や原理」にあるのではなく「それを使う人の心」による。
まさに原子力とは「軍事利用」なのか「平和利用」なのかであり、人の心が変わればどちらにでも変わることができる。それは原子力から医学まで同じなのである。
つづく
※参考2奇跡の話は信者にとっては大変大切なものであるが、信者ではない人にとっては奇跡を信じないと宗教を信じることができないという大きな障害になる。特に近代科学を勉強した人にとっては奇跡を信じることはさらに難しく、ある大学教授のように奇跡の話を片端から批判してつぶしていくことを使命と考えている人もいる。
私は奇跡の話を否定する人は、人生で辛い思いをしたことがない人だと思う。もしどうしようもなく愛する肉親が命を落とすのではないかと不安に駆られたとき、そしてその肉親が自分が手の届かない遠くにいるとき、私は「祈る」。私には祈ることしかできず、奇跡を信じる以外に科学者としての私に出来ることはない。
奇跡の話はキリスト教に多く、仏教にはやや少ないが、仏教でも多くの奇跡の話が伝わっている。宗教の世界で、奇跡の話が多いのは次の2つの理由がある。
一つはお釈迦様やキリストが生存していたときは直接その人格に触れることができた、いわゆる直弟子たちはお釈迦様やキリストがこの世を去ってしまうと、その人格の偉大さを何で示したらよいかかなり悩んだ。実際、お釈迦様の横で話を聞いていると争いなどをする気も起こらず心静かに生活をしていたのに、お釈迦様が亡くなるとたちまち、つまらないことの差異を問題にし、宗派の争いが起こる。
キリストの場合も同じような描写をみることができる。キリストに直接接した多くの人は一様にキリストの素晴らしい人格に驚き、悩みを忘れ自らの心に中にある苦しみから離れることができる。それまで自分の身体に異常があると、それが悩みの種になっていたがキリストと会い、その説教を聞くと不思議と辛い体が楽になったのである。 もし人間から奇跡をとってしまったら、私たちの生活は単調で詰まらないものになるだろう。奇跡で心を慰めるのではない、それでごまかそうというものでもない。奇跡は奇跡の物語自身で力を持ち、私たち「人」にとって必要不可欠なものである。
おわり 武田邦彦ttp://takedanet.com/2007/04/post_eac9.html
「エデンの東 名古屋大学 武田邦彦氏の記述より」
「神は東方のエデンに一つの園を作られ、見て麗しく、食べるによいすべての木をそこに生えさせた。一つの川がエデンから発し、国を潤し、そこで分かれて四つの川の源流となっていた。神は土からすべての地の獣と天の鳥を造り、それを人のところにもってきて名を付けさせた。しかし鳥や獣は人の助け手とはならなかった。そこで神は、寝ている人の肋骨を一つ取り出し、それを一人の女に作り上げた。」
キリスト教の原典の一つでもある「旧約聖書」には人類の誕生が、「エデンの園」の伝説で美しく書かれている。地上に人間が誕生したのは、川の畔であり、そして、そこは木の実や花、そして多くの動物達が遊ぶ「地上の楽園」でもあった。そんなに美しく、何の不自由もない理想の「エデンの園」でも、最初に生まれてきたアダムは幸せではなかった。それは自分の伴侶がいなかったからで、そのことを聖書では、「しかし、鳥や獣は人の助け手にはならなかった」と書き記しているが、人間という生き物は一人では生きてはいけない。食べものが豊富で生きるのには困らず、そのうえ鳥や獣がやさしくしてくれても、それでは人間は生きれない。異性の伴侶が必要なのだと旧約聖書は言う。そしてイブが誕生した。
「イブ」という名前の語感だけで魅力的な女性のように思える。事実、そうだったらしいし、女性が一人しかいないのだから比較のしようもなく、アダムは幸せになった。女性がいないと幸せになることはできない。
ところで、アダムが生まれた頃、地球はまだ気候が安定してはいなかったので、しばしば大きな洪水に見舞われていた。旧約聖書でも洪水の物語が多いが、「水が引いて一カ所に集まった」とある。そして、陸地ができ、そこに「エデンの園」ができた。
史実に還ってみよう。人間が地上にその姿を現したのは、ずいぶん前の事であるが、紀元前一万年前までは「ピュルム氷河」と言われる氷河が地上を覆っていた。氷河時代は大げさに言うと、世界中が氷づけになっているような状態で、陸地の多くは水が凍って、その氷河が陸地を覆っていた。
身を切るような寒気!とても人間が活躍できる環境ではない。エデンの園は生まれることはできない。
紀元前一万年になると地球は徐々に暖かくなってくる。この大きな気象変動を「ヤンガードリアス」というが、陸地の上に横たわっていた氷河は後退して、海の水となって行く。氷河の下の埋もれていた陸地が顔を除かせ、カチンカチンに凍っていたあの大地が柔らかい土に変わっていく。まさに旧約聖書、「創世記」に書かれた、「水が引いて一カ所に集まった」のである。
気候が穏やかになり、時には熱いくらいになった。陸地は拡がり、植物が繁茂し、動物の急激にその数を増していった。それにつれ、人類の数も増え、その集団は徐々に大きくなって、原始的な都市ができあがっていく。
大きな川が流れ、平野が拡がっているメソポタミアでは、その河畔に都市ができた。紀元前5千年、メソポタミアの下流に「ウル」と呼ばれる大きな都市が出現した。都市は少しずつ大きくなり、やがて「ウル王朝」と呼ばれる王国になった。もちろんそこには王様が君臨し、美しい妃や多くの召使いにかしずかれて生活していた。
人間の集落ができて間も無いというのに、もう王様の権力は大変なものだった。「ウル」の遺跡の発掘の時に、王様が死んだときの墓が見つかった。その墓には死んだ王様の遺体の他に、兵士、侍女、御者、そして音楽士などの死体が63も葬られていた。
当時、死んだ王様にどうしても必要だった考えられたものに、王様を護る兵士、日常の世話をする侍女、出かけるときに馬を引く御者、そして音楽士だ。音楽がなければ楽しくない。この63体の死体は王様が死んだときに殺された「殉死」の人たちであった。この様な殉死の風習は人間の集落が大きくなり、やがて「ウル」の様な大きな都市ができ、国家ができると、その頂点に立つ人がだんだん特別な人物として扱われてきたことを示している。
それでも、人一人が死んだからと言って、死んだ人の世話をするのに63人も殺さなくても良いように思われる。それは人間の罪だ。このころから人間は少しずつ「罪」を犯すようになってきた。おそらく、殉死が行われるのだから、日常的にはそれ以上の不道徳も行われていただろう。王様は多くの側女を持ち、豪華な生活に明け暮れ、農村は貧困と飢餓に泣いていたであろう。殺人や強盗、そして詐欺なども「人類初」の悪党がいたと思われる。
それでも、それからしばらくは穏やかな日々がこのメソポタミアの河畔にも訪れていたが、紀元前3,500年になった大洪水が起こった。洪水はゆっくりゆっくりと襲ってきて、毎日毎日、チグリス・ユーフラテスの二つの川の水面があがり、やがて河畔のメソポタミアの集落は洪水の下に沈んだ。はじめは大した洪水にも見えなかったのに、しばらく時が経つと、それはすさまじいほどの洪水の姿を現したのだ。「ウル」はもちろんの事、都市は滅び、小高い丘陵も沈んだ。
「ウル」の遺跡の発掘調査ではこの洪水の後がくっきりと残っている。この洪水で「ウル」の町には、4メートルにも及ぶ土砂が堆積した。4メートルというと洪水が一時的に起こったのではなく、長い期間にわたったものすごい洪水であったことが判る。現代のどんな大きな洪水でも、現代から6千年も経ってその後がこれほどクッキリと判るものはもちろん無い。
その洪水の後、しばらくは人の影は見えない。一面の泥の海であった。
しばらくして、その泥の上に草が生え、樹木が生い茂り、動物がどこからともなく帰ってきた。川が4つに分かれ、海に注いでいる辺りの丘陵に、人間の姿が見える。アダムとイブである。
「創世記」を書いたユダヤ人の祖先はこの洪水から立ち上がる人間の姿を、「人類の最初」としたのである。やがて、「ウル」にも昔の賑わいが帰ってきて、集落ができ、都市が建設された。あの大洪水の前と全く同じことが、また行われ、都市は王国となり、王様が権力を振るう。王様が死ぬと、また多くの人がそのお連れとして殺され、「殉死」した。
「どうして、人間というのは、こうも懲りずに悪いことをするのだろう」
と神様は嘆いたと書かれている。旧約聖書では、人類の最初にアダムとイブが生まれ、それから何世代もたって「ノアの大洪水」が起こったと記録されているが、神様は多分、アダムとイブの前に起こったあの大洪水もご存じであったに違いない。
「ウル」を滅ぼした紀元前3,500年の洪水の後、700年は穏やかだったメソポタミア地方に、また大洪水が起こった。今度の洪水は前のように、徐々に川の水位が上がって、その水が浸水してくると言うようなものではなかった。旧約聖書の「ノアの洪水」に記録されているところに因ると、激しい雨が毎日毎晩、降り続き、それが40日続いた。激しい雨に人間も動物も逃げることもできずに次々とおぼれ死んだ。
「神様が怒って、人間を罰したのだ」
激しく荒れ狂う空を見て、人々はそう感じた。確かに、心やさしかった人間は少しずつ間違ってきて、王様を作り、その王様が死ぬと道連れに多くの人を殺すまでになっていた。それでも、人間が悪いなら人間だけを殺せばよいのに、神様は動物も一緒に殺してしまう方法を採られたらしい。
このとき、旧約聖書によると、信仰熱いノアは洪水のあることを神様からこっそりと教えてもらい、箱船を造って自分の家族と、種を保存するための動物を一番(つがい)づつ箱船に乗せた。紀元前2,500年の事である。
この2回目の大洪水の後、聖書を著したユダヤ民族は、記録の残っている「歴史時代」に入る。そして「歴史時代」の最初の人物、ユダヤの族長、アブラハムは「ウル」からユーフラテス川の上流の「ハラン」に一族を連れて移動した。「歴史時代」に入ったユダヤ民族の足跡は良く記録されているが、その後、ユダヤ民族は族長に率いられて、地中海沿いに南下をして、死海のほとりに住むようになる。
この死海の畔には、「エリコ」と言う名前の都市があった。古代の遺跡の発掘が進んでいたある時期には、メソポタミアの「ウル」が人類最古の都市と言われていたが、「エリコ」の発掘が始まるとこの都市こそ人類初めての都市であると考えられるようになった。年代では、都市としての「エリコ」ができたのは、アダムとイブの生まれる、実に4,000年前である。
旧約聖書の創世記に書いてあることを詳しく調べて、それから厳密にこの世ができた時を推定した人が居る。それによれば、この世は紀元前4,400年10月23日の午前9時に、突然、神によって造られた。まさに今から6千年前、第一回の大洪水、「エデンの東」、そしてノアの大洪水の頃である。
しかし、「エリコ」は旧約聖書の舞台となった、メソポタミアの「ウル」から遠く離れていた。旧約聖書の著者は「エリコ」を見たことがなかったのであろう。「エリコ」にも国家があり、王様も居たし、墓も見つかっている。しかし、殉死は見あたらない。「エリコ」の墓は丁寧に宗教的儀式に従って葬られている。死んでその墓に葬られた人の頭蓋骨には粘土がかぶせられ、眉、瞼、鼻、口、耳が形づけられ、その人の生前の面影を残す工夫が施されていたのだ。目の孔には貝殻がはめ込まれ、その真ん中には瞳までが刻まれている。
アダムとイブ、そしてエリコとウル、さらには多くの洪水伝説、そしてやがてモーゼが現れ、イエス・キリストの誕生となる一連の人類文明が花開きだした頃、人類には大きな矛盾と悩みがあったと感じている。それは「人間とはかくも醜いものか!」という驚きである。それまで小集落で生活をしてきた人間は、それが本来持っている酷く悪い欠陥に気づかなかった。自分本位であるし、悪口は好きだし、好きがあればいじめもする。動物を殺すばかりか、人間同士も殺し合う。さらに王様が死んだというだけで侍従は軒並み死ななければならない。どう猛な動物でもそんなことはない。
人間は欠陥動物だ、と悟ったのではないか。そしてその苦しみは、エリコ、ウル、大洪水を経て、モーゼに至る。そして4,000年にわたるユダヤ民族の苦しみがイエス・キリストによって解消される。新約聖書以来、2000年、新しい聖書が現れていないことがそれを示す。
欠陥のある人間を生き返らせるためにはなにが要るのだろうか?著者には旧約聖書の詩編がそれをよく著わしていると感じる。そこには人間の苦悩、人間の矛盾が渦巻いている。そしてそれから人間が救われるのはなにか?それは、「正しい幻想」を構築することなのである。
そこで類い希なる頭脳か、あるいは神様に近いイエス・キリストは「正しい幻想」の王国を創造した。それは人間の心、欠点、長所のあらゆるものを含み、そしてそれを哀れみ、愛する心をもった類い希なる幻想であった。人類はそこで救われ、それから後、2000年にわたってイエス・キリストのもとで人間は生活を行ってきた。なんと素晴らしいことか!
目の見えない人、肉親を失った人、絶望にうちひしがれた人、どんな人もイエス・キリストに救われて、その人生を幸福に過ごすことができた。どんなに解析的な力があっても、どんなに論理的であっても、イエス・キリストの矛盾、その真実を上回ることは出来ない。人間には幻想がいる。そしてその幻想は人間が幸福になる幻想でなければ存在価値はない。
なぜ、イエス・キリストがそれが判ったのだろうか?神の子だったからか、あるいは類い希な頭脳と愛情を持っていたからか?それは全く不明である。なぜ不明かというとイエス・キリスト以来、彼より素晴らしい人が出現していないから、彼を評価することもできないのは当然である。
エデンの園は、どこにあったのか?
▼土から生まれたアダム
『神は地の土くれから人(アダム)を作り、彼の鼻に命の息を吹き込まれた。そこで人は生きた者となった。 神は東の方に一つの園を設け、神の作った人をそこに置かれた。神は見て美しく、食べるに良い全ての樹、更に園の中央には生命の樹と善悪の知恵の樹を地から生えさせた。 神はその人を取って、エデンの園におき、これを耕させ、これを守らせた。神は人に命じた。「君は園のどの樹からでも好きなように食べてよい。ただし、善悪の樹からは食べてはならない。その樹から食べる時、君は死ななければならない」』
有名な旧約聖書の冒頭部分だ。これより前の部分には、神による天地創造などが描かれている。旧約聖書が実在の話であるかどうか?と聞かれて、「100%実話である」と答える現代科学者は少ないだろう。土から人間ができるという記述も、大方の人々が「そんなはずがない」と答えるに違いない。
創世記の中にヘビにそそのかされ、知恵の実を食べた直後に、こんな記述がある。
『君のために、土地は呪われる。そこから君は一生の間、労しつつ、食を獲ねばならない。土地は君のために、荊と棘を生じ、君は野の草を食せねばならない。君は額に汗してパンを食らい、ついに土に帰るであろう。君はそこから取られたのだから。君は塵だから、塵に帰るのだ』
この記述は、人は土から生まれ、土へ帰るというモチーフを表現したのだろう。土から生まれ、土に帰る人は死に至ったとき、土に埋められ、そこから魂が抜けだし、また生命となり、胎児として母胎に宿る輪廻転生は科学的に立証されていないが、「輪廻転生」を描いたものかも知れない。
▼エデンの園の謎
エデンの園はどこにあるのだろうか? それを探る手がかりが、聖書の中にある。
『一つの川がエデンから発し、園を潤し、そこから分かれて4つの源流となる。第一の名はピションで、それはハビラの全地をめぐるもの。ハビラの地には金が産出する。その地の金はよい。そこにはまたブドラクの樹脂と紅玉髄が出る。第二の川の名はギホンで、それはクシの全地をめぐるもの。第三の川の名はヒデケルで、それはアッスリアの東を流れるもの。第四の川、それはユフラテである』
大半の人は、この記述のほとんどが、どこの地域を指しているのか、わからないだろう。しかし、最後の「第四の川、それはユフラテ」を見れば、誰もがユーフラテス川を思い浮かべるに違いない。
アッスリア――とは、現在のイラク北部地方を指す名称「アッシリア」であるから、「第三の川の名はヒデケルで、それはアッスリアの東を流れるもの」とは、ティグリス(チグリス)川を指していると見るのが、一般的だ。ユーフラテス川とティグリス川は、ペルシャ湾手前で合流している。第一の川「ピション」と第二の川「ギホン」は、全く手かがりがなく、架空の川とされている。
それに、ペルシャ湾周辺で産出するものと、聖書の記述にある紅玉髄(石英の一種である玉髄「カーネリアン」)、金といった産出物も符合する。
1つの川がエデンから発し、4つの川の源流となっているのならば、ティグリス、ユーフラテス川を遡っていけば、それがエデンの園の在処になるはずだ。
▼エデンとは。
ティグリス、ユーフラテス川の源流――それはアルメニア高原だ。だが、アルメニアは、山が連なる高原で、冬は厳しい寒さである。年間の1/3の気温が零下になる地域では、裸で暮らすことは不可能だ。 1つの源流から川が分かれて、4つの川に分かれるのは、現実的には考えにくい。逆に4つの川が、どこかで1つになっている方が、まだ考えやすい。ティグリス、ユーフラテス川は、ペルシャ湾手前で一つになり、デルタ地帯となっている。エデン――それはヘブライ語で、「喜び」を意味する。だが、この地でメソポタミア文明を築いたシュメール人の言葉では「肥沃な平原」「デルタ地帯」を意味するのだ。聖書にあるエデンの園は、緑に溢れ、木々が豊かな実を結んでいた楽園とされている。だが、この地域は、降水量も少なく、とても緑が溢れ、木々が豊かに実を結んでいるとは考えにくい。
『神が言われるのに、「ご覧、人は我々の一人と同じように善も悪も知るようになった。今度は手を伸ばして生命の樹から取って食べて、永久に生きるようになるかもしれない」。神はアダムをエデンの園から追い出した。こうして人は自分が取られた土地を耕すようになったのである。神は人を追い払い、エデンの園の東にケルビムと自転する剣の炎とを置き、生命の樹への道を見守らせることになった』神はアダムをエデンの園から追放し、神はアダム達が永遠にそこに近づけないように、ケルビムと自転する炎の剣を置いた。エデンの園は水没してしまい、近づかないのではなく、もはや近づくことが出来なくなってしまったのだ。水没したエデンと、この地域を襲う度重なる洪水は、エデンの園追放の伝説と、ノアの洪水
伝説となったのだろう。名古屋大学 武田邦彦氏の記述より
福島で被曝した方の健康管理と食事療法
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福島では避難者も含めて多くの疎開をしてる。その中でも被曝した方にとっては検査もままならず、
自民党が買収した医師会によって、偽の検査データーが開示されていると聞く。
要は、被曝してませんよ、という工作をしているというのだ。
しかし、避難しても初期被曝した健康は自分で管理する他なく、検査だけでは
被曝からの癌に対...
11 年前