マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る
1枚のポスターがある。
ウソつかない。
TPP断固反対。
ブレない。
日本を耕す!!自民党
とある。「日本を耕す!!(壊すに見える)」とあるから、農業地帯を中心に掲載したポスターであろうか。
昨年12月の総選挙に向けた選挙対策ポスターなのであろうか。
私が現物を確認したわけではないので、おとりの偽ポスターの可能性を全面否定できるものではないが、自民党は昨年の総選挙に際して、TPP慎重姿勢をアピールしていたから、その主張とは整合的である。
安倍晋三氏は
「聖域なき関税撤廃を前途とする限り、TPP交渉には参加しない」
と発言してきた。
TPP交渉においては、「すべての品目を例外なく交渉のテーブルに乗せる」ことが前提とされてきた。
同時に、「例外なき関税撤廃を基本として、すべての品目の10年以内の関税撤廃を目指す」ことが強調されてきた。
この文脈での安倍晋三発言は、「例外なき関税撤廃」の原則が明確に外されることが確かめられない限り、安倍自民党はTPP交渉には参加しない、慎重姿勢を貫くものと、有権者に受け止められてきたと思われる。
上記のポスターは、その意味をより分かりやすく示したものと理解できる。
しかし、安倍氏が取った行動は、こうした通常の理解力で理解される方向に進んだものではなく、言わば「言葉の綾」をかいくぐる、「詐欺的」と言わざるを得ないものであった。
2011年6月2日、菅直人内閣に対する不信任決議案が上程され、不信任案可決の流れができかけていた。
民主党代議士会の前に鳩山由紀夫元首相と菅直人首相が会談し、早期の退陣で合意した。
代議士会で菅首相が発言したあと、鳩山元首相が補足説明をして、復興基本法が成立し、第2次補正予算編成のめどがついた段階で菅首相が退陣することで合意したことを説明した。
この説明に対して菅氏が反論しなかったため、代議士会出席者の多くが早期退陣で合意が成立したと理解して、不信任決議案への賛成を取り下げた。
結果として不信任案は否決された。
ところが、不信任決議案が否決されると、菅首相は早期退陣を否定する発言を始めた。
代議士会で二つの具体的条件を掲げて早期退陣を明言したのは鳩山元首相であって、菅氏は「退陣」の言葉を口にしていないことが強調された。
菅-鳩山会談に同席した岡田克也氏も菅発言に同調する考えを示した。
これも「言葉の綾」をかいくぐる、「詐欺的」手法だった。
2012年8月10日、参議院本会議は消費税増税法案を賛成多数で可決し、同法が成立した。
増税法案可決は民主・自民・公明の三党合意によるものだった。
自民、公明は、民主党が総選挙で増税反対を公約として掲げたことを理由に、まずは選挙で民意を確認し、そのうえで増税法案を成立すべきだと主張して増税法案への賛成を留保した。
日本のマスメディアは安倍晋三氏の訪米を持ち上げる報道を懸命に展開しているが、壮大な三文芝居、茶番の域を出ていないことは誰の目にも明らかだ。 安倍晋三氏がオバマ大統領にゴルフのパターを贈呈し、 Get in the hole! Yes, we can! とジョークを飛ばしたとメディアは伝える。 そのうえで、こうした当意即妙のやりとりがあったおかげで、日米首脳会談で「聖域なき関税撤廃」を前提としないことが確認され、日米共同声明が発表できたのだという。 さすがは、「やらせ」と「仕込み」を専売特許とする日本のマスメディアである。 こうした報道を繰り返し、安倍訪米が成功であったとのイメージ・キャンペーンが展開されている。 ここまでやると、よほど間の抜けた人でなければ、逆に報道に対する不信感が増幅される...
2月22日早朝にブログ記事 「日銀総裁・副総裁人事案をズバリ予測する」 メルマガ第499号記事 「安倍氏の日銀運営評価は歴史が定めることになる」 を発信した。 私が予測した日銀総裁・副総裁候補者の最有力案は次のものである。 A案 総裁 黒田東彦氏 副総裁 岩田規久男氏 副総裁 雨宮正佳氏 なお、日銀出身者は雨宮正佳氏ではなく中曽宏氏になる可能性がある。 いま報道各社が伝えている日銀幹部人事案は筆者の予測と同じだ。 日銀出身者は中曽宏氏を軸に人選が進められると伝えられている。 私が上記A案を最有力案とした理由は以下の通り。 まず、総裁候補の黒田東彦氏。 三つの要因があった。 第一は、安倍晋三氏が「自分の考えに共鳴する人」を日銀総裁に起用したいとしていたこと。 いわゆる「インフレ誘導」色の強い...
2009年の政権交代の衝撃はあまりに大きかった。これは逆説だ。 2006年に小沢一郎氏が民主党代表に就任した瞬間から、彼らはその事態を恐れていた。 日本の既得権が壊される。 米国は第2次大戦後、一貫して日本を支配し続けてきた。 終戦直後は日本占領方針がいまとは正反対だった。 マッカーサーは日本に民主主義のモデル国家を建造しようとした。 徹底した民主化を推進した。その結果として、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの劇的変化が生まれた。 戦争放棄の画期的な憲法まで制定された。 しかし、すべては1947年に変化した。米国の外交方針がソ連封じ込めに転換した。連動して対日占領政策は「民主化」から「反共化=非民主化」に転換した。 米国は日本を半植民地に転換させた。 ここから日本の対米隷属が始まった。こ...
国民を殺すTPP裏参加「茶番宣伝省」はこいつらである。↓
テレビと新聞で国民をだます洗脳局。
株式会社 電通/森永製菓 株式会社業務名 : 森永製菓「森永甘酒」のための甘酒市場活性化を目的としたPR活動活動主体( .... 株式会社プラップジャパン業務名 : 食物繊維の新たな機能「ファイバーデトックス」を訴求するコミュニケーション活動活動主体( ...
www.dentsu-pr.co.jp/ - キャッシュ
日本におけるPR業界のトップカンパニー、電通パブリックリレーションズ。サービスメニューや事例紹介、会社概要を掲載しています。
社 名, 株式会社 電通パブリックリレーションズ. 設 立, 1961(昭和36)年9月20日. 資本金, 4,000万円. 代表者, 代表取締役社長執行役員 近見竹彦. 従業員数. 217名(2012年4月現在) ※役員を含めた「PRSJ認定PRプランナー」101人(2012年4月現在) ...
植草教授の事件を創作した稲川会の政党 維新の会が行っていた警察合同冤罪テロリズムの全暴露!!
植草一秀氏計略逮捕に関与した神奈川県警と疑惑の政治家中田宏元横浜
P114
講演は
横浜駅前のシェラント
ホテルで行ないました。終了したのは、お昼の12時35分ころです。そのあと
中田市長らと食事をとり、1時半過ぎには
ホテルを出て
横浜駅に向かいました。
(略)
P118
副島 ということは、
神奈川県警は当日の
植草さんの行動を、事前に把握していたことになる。
植草さんが
横浜に来ることを知っていて、待ち伏せをしていた。そうでなければ
横浜で
植草さんを
発見できるわけがない。
植草 おそらく
警官は、私が講演を終えたときから
尾行していたのでしょう。
植草氏が覗き魔にされたのは、人相の悪くなった
ハゲタカ・
中田のところで講演を終えた帰りのようです。
2009/07/18 10:19
決算特別委員会は9月
議会最終日の25日に正式に設置。招致に強制力はないが、今後、
中田氏側に出席を
要請する。理事予定者の一人は「今回の
決算は
前市長の
責任。開国博の
責任についても『まだ開催中』とは逃げられない」と厳しく追及する方針だ。
中田氏の
事務所は「正式に話が来たら検討したい」と話している。
植草事件を創作した稲川会暴力団の直属議員がなんと公費で不倫をしていた事実裁判内容前文
暴力団の命令で活動した警察テロ部隊の
スパイ組織メンバー↓
中田宏(鄭宏) 女性スキャンダル Y150横浜開国博の裏で愛人奈々(本嶋真紀)と壮絶な争いを展開
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中田宏鄭宏、愛人奈々への携帯メール送信・・・。神奈川県警は横浜市役所に大量の警察OBを中田宏鄭宏によって天下りさせた・・。奈々との情交は事実である。東京地検に中田(鄭)宏は
奈々・神奈川新報三村貞夫主筆・横浜市会議員太田正孝を
名誉毀損で告訴(刑事告訴)したが、証拠の「奈々の携帯電話」の記録を鑑定したところ
中田(鄭)宏の携帯電話から送信したメールと判明。
民事裁判で奈々が敗訴したのは、中田(鄭)宏が裏で奈々側に
慰謝料を払って裁判出廷を見送らせたのが事実。 中田宏が在日朝鮮人鄭宏である証拠の一部中田(鄭)宏のせいで横浜市は財政悪化していた
http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/org/zaisei/kenzenka/
『ヒロリンVSハンバレク奈々』事実無根か真実か 奈々嬢の告白
準 備 書 面 平成21年3月31日 横浜地方裁判所 御中
1 原告と被告との出会い
(1)平成16年春、原告が勤めていたクラブ「華鈴灯」に被告は友人陳正堂氏ら数人と初めて来た。 その後も、元町の後援者や友人らと一緒に来店していた。 この陳氏は原告と被告との飲食等に同席したり、連絡役をしていたりしていた。 原告は勿論被告が横浜市長であることは知っていたが、原告の担当となり、初めての席で被告から名刺を貰った(甲5号証)。 翌日、原告は被告から貰った名刺に記載されている「E―MAIL」に来店のお礼のメールを入れた。 すると、被告から原告の携帯電話に「楽しかった」というような内容のメールがあった。 原告は、これに対して、メ―ルを見るのを忘れ、返信しなかったところ、その翌日被告が友人と共に来店、 原告に対し「どうしてメールをくれなかったのか」と返信 メールをしなかったことを少し責めるように言われた。 これが2回目の来店で、初めて来店してから2日後であった。 その出会いから被告は友人らと来店するようになり、原告がその都度席についていた。
(2)初めての来店から1週間後、深夜被告から近くのバ―にいるから会おうと電話がかかり原告が出向くと、 前記陳氏がいて一緒に飲食をした。 その後原告と被告とが付き合う様になってから、陳氏が一緒に行動しているときには原告は人目につかないよう、 陳氏と付き合っているように見せかけていた。 又、飲食店に入るときには陳氏が先に入り、被告を知っている人が多いかどうかを確かめていた。 陳氏は中華街で中華料理店を経営しているということであったが、被告とは極めて親しい間柄だった。
2原告と被告の性的関係
(1)被告が来店して1ケ月くらいは、呼び出しがあった場合も、お客から次第に友人へと進んだ程度の間であったが、 その頃から被告が原告に対し「好きだ。一緒にいたい」と特定の関係を求めるような話をするようになった。 原告もお客から遊び程度でそのように言い寄られたことはあり、曖昧に接しており、 被告の話にもその程度の対応しかしていなかったが、被告の話は次第に「付き合いたい」 「妻とはうまくいっていない。離婚したい」等々妻との離婚まで言い出し、 更に「インターコンチネンタルホテルに住んでおり、妻とは別居している」と夫婦間のことまで言うことから、 原告も被告の言っていることが遊びや嘘ではない、真剣だと信じるようになり、結婚を前提とするならばと思うようになってきた。
(2)平成16年5月初め頃、初めて出会ってから3~4ケ月くらい経った頃、 原告は被告が宿泊していた「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」に被告から誘われ、 初めて肉体関係を持った。その後も、ほぼ1週間に1回、上記ホテルにて待ち合わせをしたり、 店に被告の公用車が迎えに来て同ホテルに行ったりして、関係を持った。 被告の説明では、同ホテルには、原告と会う部屋とは別に被告の住居部分の部屋もあると言っていた。 二人が関係を持つようになってから、被告はホテル内にあるジムで運動し、身体を鍛えだすようになった。 その後、二人が会った日は元町の異人のダ―ツバ―に行くことが多かった。 その他、原告の知り合いの店に行きたいという被告の希望から関内にあった 「ハ―ト&ソウル」という店に連れて行ったこともあり、その店のオ―ナ―が被告のことを気づきびっくりしていた。 又、被告が運転する自家用車で焼肉を食べに東京に行ったりもしていた。 因みに、被告から原告へのメールは別表1~21記載の通り平成16年5月30日から同年9月8日までしか残っていないが、 二人の直接の連絡は携帯電話番号(090―7232―0299)も教えてもらっていたが、殆ど携帯電話のメールでしていた。 |